エッセイ53 (2018年4月30日著)
たかが親、されど親
魂の観点から見た、親子関係の考察
親を失う痛みを乗り越えるために
著者:加藤優
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たかが親されど親
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たかが親されど親
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第一章:親が苦しんでいる瞬間、親が他界する瞬間、
あなたは何を感じるか?
あなたの親が、今、この瞬間に、つらい思いをして、苦しんでいるのだとしたら、あなたは何を感じますか?例えば、あなたのお父様が癌を患い、迫りくる死の恐怖に彼が怯えているのだとしたら、あなたは何を感じますか?また、例えば、あなたの母親が老人ホームに入居し、彼女がその場で孤独感に苦しんでいたら、あなたは、それをどう思うでしょうか?あなたが、夏休みに母親を見舞いにその老人ホームを訪ねたとして、あなたの帰り際、彼女がギュッとあなたの手を握りながら、「私(あなたの母親)を一人にしないでおくれ」と、彼女が泣きながら、あなたに嘆願したら、あなたは平然とその場を立ち去ることが出来るでしょうか?
あなたの親が、残念ながら、他界したのであれば、あなたは何を思うでしょうか?自分の内側の何か大切なものがえぐり取られたかのような、そんな痛みもしくは喪失感でしょうか?それとも、生前に十分に孝行することが出来なかったという罪の意識でしょうか?それとも、あなたは、あなたの父親、もしくは母親が「幸せな人生を歩んだ」と思い込むことで、自分を納得させようとしてはいないでしょうか?それとも、あなたの親があなたを長い間苦しめてきたのなら、「いなくなって清々した」と感じるのでしょうか?
親を失ってから、数年経過したのなら、あなたの痛みは軽くなったのでしょうか?時の経過は、あなたを癒やしたのでしょうか?まだ癒えていないのなら、それはいつ癒えるのだと思いますか?
あなたは、上記の問いかけを愚問と感じるかもしれません。なぜなら、親がつらい思いをしているのなら、その子供は、自身の身を引き裂かれるがごとくつらい思いをする、それはとても自然で当たり前の反応であると、あなたは思うことでしょうから。何十年という時間を一緒に過ごしてきて、深くかかわりあいを持ってきて、お互いに感情をぶつけあってきて、親密感(あるいは憎悪感)の対象になっているあなたの親が、つらい思いをしているのなら、それを、あなたがあなた自身の痛みであるように感じたとしても、不思議ではない。親が苦しいのなら、子も苦しい。それは、自明の理であるとあなたは考えるはずです。
そして、あなたは、親の苦しみを解消するべく、出来る限りのことを親にしてあげようと動機づけられるはずです。あなたの父親が癌にかかったのであれば、彼が完治するために、出来る限りのことはしてあげたいと、あなたは感じます。2002年に、私がアメリカでの大学院を1年半ほど休学して、日本で私の父親の癌闘病を支えたように。母親が老人ホームでさびしい思いをしているのなら、あなたは、出来る限り頻繁に、ホームを訪ねてあげたいと思う。それらは、とても自然な心の発露であり、上記のようにいちいち、それを問いただす必要もない。だから、私の問いかけは、愚問であると。
また、親との死別に関する、上記の問いかけについて、あなたは次のように感じるかもしれません。あなたの親はあなたの幸せを願い続けてきた存在であり、そんな存在を失えば、自身の後ろ盾を全て失ったように感じ、強い不安に襲われる。親を失った痛みは、あまりにも深いものなので、その痛みに、やがて慣れることはあるかもしれないが、完全に癒えることはない。だから、感じ方がどうであれ、親と死に別れることが、とてつもなく深い傷を、子供に残す。それを、いちいち聞くまでもない。だから、上記の問いかけは愚問であると。
あなたの親が苦しみにある時、あなたはつらくて当然。あなたの親が死去したのなら、あなたの心は引き裂かれて当然。果たしてそうなのでしょうか?ここで、私は、あなたに問いかけます。「それは本当に自然な反応なのか?」と。その痛みは、純正に自然な反応なのでしょうか?また、そういった心の痛みが、自然な心の反応であるのなら、我々はそれにどう対処したらいいのでしょうか?
あなたの心の痛みを、時の流れにまかせて、ゆっくりと沈静化していくのを、じっと待つしかないのでしょうか?あなたが親のことで、苦しんでいる時、心憂いている時、それは、「時が癒やしてくれる」のを待つしかないのでしょうか?「時の経過」以外に、その苦しみを軽減する方法があるのだとしたら、それはどんなものなのでしょうか?このエッセーは、それらを主題として議論していきます。
このエッセーでの問いかけは、次の二つの質問に集約化されます。
(1)「なぜ、親を失うことが、我々にとって、自分がどうにかなってしまうと感じられるほどに、辛いことなのか?」
(2)「親を喪失する痛みから、立ち直るためには、我々はどうしたらいいのか?」
議論を進めるうえで、一つ論点をはっきりさせます。上記では、親が苦しみにある時と、親が他界した瞬間と、そのインパクトの度合において大きな隔たりがあるがゆえに、両者を分別して取り扱いましたが、これ以降、両者を一つの問題に取りまとめて考察します。
なぜなら、親が苦しみにある時、あなたは、親に同情し、どうすればその苦しみを解消できるのかを悩んでいるだけではないのです。親がその苦しみの中でもがき続けた場合に、最悪、最終的には、親が絶命してしまう可能性を、あなたは恐れているのです。例えば、あなたの父親が癌を患ったのであれば、癌が原因で、彼が死ぬことを、あなたは恐れます。親が癌にかかれば、親の死の可能性に怯える。それは自明の理であるかもしれません。
しかし、私があなたの注目を引きたいのは、彼が癌から完治する可能性もあるのに、「父さんが死んだらどうしよう?」と、あなたの意識は、常に彼の「死」にくぎ付けになっていることです。あたかも、彼が死ぬことがあらかじめ決まっているかのように、あなたは感じ、あなたは、彼を失うことに怯えるのです。
また、例えば、老人ホームで、あなたの母親が孤独感に喘いでいて、あなたがそれに心を痛めているのであれば、結局は、あなたは、彼女の「死」を恐れているのです。あなたは、彼女の孤独感が直接的に彼女の命を断つことが無いのは理解しています。孤独感が人を殺すことはありません。
しかし、孤独感が彼女を意気消沈させている時、孤独感が彼女を圧倒し、その中で彼女が押しつぶされていくかのように、あなたには感じられるのです。喩えれば、彼女の存在がロウソクの炎であるのなら、彼女を襲っている孤独感は、その炎を吹き消す台風のようなものに感じられるのです。彼女が老人ホームで孤独感により嘆き苦しんでいる瞬間、実は、あなたは、感覚的には、彼女が孤独感という防風の中で消滅していくかのように感じて、彼女の消滅の可能性を察知し、あなたは動揺しているのです。結局のところ、あなたは、彼女の「死」が怖いのです。
親が苦しみにある時、あなたは、その苦しみの先で、親の存在が消滅してしまう、その可能性に怯えているのです。親の困苦に際し、あなたは象徴的な親の「死」に震えおののいているのです。親の困苦も、親との死別も、結局は親を失うことを恐れている状態ですから、両者を一つの問題として、以下では取り扱っていきます。
「親を失うことが、なぜ、こんなにもつらいことなのか?」このことを、今、立ち止まって、私と一緒にじっくり考えてみてください。我々が、親を失って、心がえぐられるように苦しむのは、実は、不思議な現象なのです。
あなたは、自分自身を親から経済的にも精神的にも独立した成人であると、認識しています。そうですよね?あなたの生活は、親の存在無かりしば、成り立たないのでしょうか?
あなたは、独立した成人であり、親に何もかも依存している赤ん坊ではありません。小さな子供は、親に食事をつくってもらう必要がありますが、あなたは、あなたの食べたいものを、あなた自身で作れるはずです。親がいなければ、食事を出来ないなんてことはありません。同様に、親がいなければ、あなたはあなたの仕事をこなせないのでしょうか?親がいなければ、ゴールデンウィークにどこに旅行に行くかも決められないのでしょうか?親がいなければ、あなたは車を運転できないのですか?親がいなければ、あなたはあなたの趣味に打ち込めないのでしょうか?親がいなければ、あなたは買い物すら出来ないのですか?親がいなければ、あなたは友達にメールすら打てないのですか?
よく考えてみてください。あなたの生活の一コマ一コマ、それらは、あなたの親がいなくても、成立するものばかりです。親がいなくても、あなたは生活できる。特殊な例を除き(例:あなたの子供の幼稚園の送り迎えをあなたの親にお願いしている)、親がいないからといって、生活面で困ることは、実は無いのです。
更に、良く考えてみてください。親を失ったとして、あなたという存在の一体何が変わるのでしょうか?親が天に召されたからといって、あなたの腕がもげるわけでもなく、あなたの心が無くなるわけでもありません。親が居なくなったからといって、あなたの伴侶や子供が一瞬で消滅したりはしません。親が居なくなった瞬間に、あなたが勤める会社が倒産するわけではありません。親を失ったとき、あなたが命を失うほどの脅威にさらされているわけでは無いのです。親と死別したとしても、あなたという世界は、実は何一つ変わらないのです。
しかし、実感としてはどうでしょう?あなたが親を失ったのであれば、強い悲しみがあなたの心を激しく揺さぶります。心が揺れるだけでなく、あたかもあなたの心の大半が抜き取られたかのような空虚感すら味わい、あなたは、どうしていいか分からず、ひどく狼狽えてしまいます。ここまで、痛みを感じてしまうのは何故なのでしょう?
この時、実は、あなたは、潜在意識下で、あなたの親を、あなた自身の存続の必要条件として見做しているがゆえに、親を失うと、あたかも自分自身も消滅してしまうかのように感じてしまっているのです。
例えば、あなたの父親が癌にかかり、あなたが彼の死の可能性に怯えているとき、実は、彼が亡きあと、得たいの知れない何かがあなたを襲い、あなた自身が危機にさらされるかのように感じてしまって、あなたはパニックになっているのです。これは、愛する人が居なくなって寂しく悲しいという感情的反応を超えて、自分自身が死んでしまうかのように感じてしまうのですから、過剰な反応と言えます。
私は、自分の親との関係を通じて、及び、親を失い苦しんでいるクライアント達を助けてきた幾多の症例を通じて、一つの確信に至りました。それは、我々の心は、親を失うことに過剰反応を起こしているということです。
過剰反応のメカニズムそついて、第三章において、私自身が体験した父親の死に対する過剰反応をとりあげ、その具体例をもって、説明を試みます。また、第四章において、過剰反応の原因を議論することを通じて、そのメカニズムを深く考察していきます。
親が苦難に陥っているとき、もしくは、親と死に別れたとき、あなたが次のように感じるのであれば、あなたの内側で過剰反応が起きている可能性があります。下記に思い当たるふしがあるのであれば、このエッセーがあなたにとって、それがしかの助けになるはずです。
親が苦しんでいる結果、もしくは、親を失った結果、あなたが…
・「どうしていいか分からなくなり」ひどく狼狽している。
・「いてもたってもいられなくなり」、落ち着けない。リラックス出来ない。
・ 夜眠れない。
・感情の強いうねりが止まらない。例えば、深い悲しみを感じ、涙が止まらない。
・あまりに強い自責の念にかられ、自分を非難し続けたために、心身の障害を得る(例:うつ病、胃潰瘍、腸炎)までになった。
・喪失感や無力感や空虚感を感じ、何をする気にもなれない。
・過去を後悔ばかりして、自分自身の未来へ向けて、前向きになれない。
親を失うに際し、あなたが沈痛なる喪失感に喘いでいる時、その心の動きは、自然な反応としての部分と、過剰で不自然な反応としての部分とで合成された結果なのです。あなたの痛みに、過剰な反応が潜んでいます。であれば、「時が癒やしてくれる」のを待つのは、得策とはいえないですよね?それが得策でないのなら、我々は、どうしたらいいのでしょうか?次章以降、私と一緒にそれを考察していきましょう。
このエッセーは、次のように七章構成でお届けします。
第一章:親が苦しんでいる瞬間、親が他界する瞬間、あなたは何を感じるか?
第二章:本エッセーの議論の本質と汎用性について:結局のところ、親子問題は「認識」の問題である
第三章:親の死に対する過剰反応の例:筆者加藤は、父親の死にどのように叩きのめされ、そこからどのように回復したのか?
第四章:過剰反応の根本原因
第五章:親への憎しみの考察:筆者加藤は、なぜ母親を憎むのか、なぜ憎む彼女を愛せるのか?
第六章:本当の自分を知る
第七章(最終章):魂から見た親子関係
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