自問自答してみてください。「私は何が欲しいのか?」 言葉を変えれば、「何が私を幸せにするのか?」ということについて、自分の素直な気持ちを聞いてみてください。おそらくは、「・・・・・」と、言葉につまって、うまく答えられないはずです。この一見すると、ありきたりな簡単な質問が、なぜ難しく感じられるのでしょうか?それは、あなたが自分自身を見失っているからです。自分の人生で何を目標として、何のために生きているか。そういった自分の存在意義を知りません。「自分」という人間が一体何なのかが、分からないのですから、当然の帰結として、「<自分>を幸せにするモノは何か?」と問われても答えに窮するわけです。
実は、あなたは、自分が何者で、自分がどんな存在かを知りません。あなたが「自分」だと考えている何か(仕事、性別、国籍、「妻」や「母親」といった家庭内の立場)は、あなたのアイデンティティー(象徴)でしかすぎず、それは本当の自分ではありません。アイデンティティーとは、あなたが意義や価値を見出している「役割」です。「役割」そのものは、あなたの思考が投射しているイメージです。「役割」=「あなた」ではありません。アイデンティティーとは、いわば、あなたがかぶっている「仮面」です。あなたは、「仮面」の奥の素顔の自分を知りません。本当の自分を知ることなしに、「仮面」をかぶりつづけ、日々を過ごしています。
あなたという存在の奥深くには、無限の可能性が秘められています。ところが、あなたは、その広大な力を認識することなく生活をおくっているのです。それは、あたかも、床下に眠る金銀財宝に気付くことなく、食べるものも無い貧しい生活に苦しんでいる人のようです。自身のポテンシャルに無知である状態について、近代心理学の父、ウイリアム・ジェイムスはこういいます:
「大半の人は意識の可能性のほんのわずかな部分しか活用していない。それはちょうど、身体全体があるにもかかわらず、小指しか使わない習慣を身につけた人のようだ。」
自分自身に正直になって、問いかけてみてください。「私は、今、幸せなのか?」と。
おそらく、あなたは「不幸ではないけれども、深い幸せにあるとは言えない。」と感じているはずです。
「不幸ではない」すなわち、重病を患ったり、家を失ったり、借金取りに追われるような状況ではありません。
「深い幸せにはいない」すなわち、あなたは、何かが満たされていないような感覚を、自分の中のどこかで持っています。何か漠然とした、えも言えぬ不安感をもっているはずです。誰か大切な人から拒絶されたような感覚がそこにはあります。それを何とか埋め合わせたいのだけど、あなたは何をどうしていいか分かりません。そこには、あせりの感覚も伴っています。
その漠然とした不安がどこから来るのか?それは、あなたが本当の自分を知らないからです。精神力学的に言えば、あなたは、自分自身の「精神性の基盤」から分離されています。ユング学派の用語で言うところの「Ground」「Great
Mother」(仏教の用語で言うところの「真我」)から引き離されているのです。「精神性の基盤」、または、「真我」とは、絵空ごとや、幻想、夢ではなく、あなたの内側で実体をもった精神構造です。あなたの「顕在意識」が家の建物に相当するのだとしたら、「潜在意識」は土台、「基盤」は家の立っている土地にあたります。あなた自身が「基盤」から分離されいる状態とは、土地の無いところに立っている家のようなものです(!?)。あなたの心や気持ちが、どこか不安定になるのも自明の理です。
本来であれば、あなたは精神性の基盤と融合されていて、あなたは、一人の人間としての全体性、全人格を得て、自分の存在が大きく、力強く感じられるようでなければいけません。それがあなたの自然な本当の姿です。それが、本当の自分を取り戻した状態です。そもそも、なぜ、あなたは「精神性の基盤」から、それすなわち、自分の存在の根源から、離脱してしまったのか、その詳しい解説は割愛します。その説明には膨大な時間を要します。ただ、ここでは、あなたが、あなた自身の「精神性の基盤」から切り離されてしまっているという事実を、あなたに気付いて欲しいのです。
「精神性の基盤」から分離されている状態を、実際に肉眼で見ることはできません。しかし、あなたが、次のような感覚や感情をもっているのだとしたら、それがその証拠である可能性が高いです。「基盤」からの分離とは、あなたの顕在意識を包み込む大きな入れ物を失った状態です。それはまるで、木の枝にある巣から落下して、地面で鳴いている鳥の雛のようです。群れからはぐれてしまった野生の狼のようです。このとき、あなたは漠然とした疎外感や孤独感を感じます。まるで、母親を失った赤ん坊のように、あなたは、自分の存在が小さく、ひ弱に感じられます。「基盤」とは、あなたの顕在意識がそこから芽生えた出発点であり、そこを志向する到着点でもあります。それを失ったのですから、自分が何のために生きればいいのかという、人生の中での方向性が感じられません。深い霧の中をさまよっているかのような、出口のない迷路をさまよっているかのような閉塞感を感じます。「精神性の基盤」とはインスピレーションの源泉ですから、それを失えば、自分が日々どう行動していけばいいのか、確信がもてません。あなたは、えも言われぬ焦燥感や不安を常に感じます。
この漠然とした疎外感、恐怖感、不安を過小評価するべきではありません。なぜなら、それは、あなたに対して、ありとあらゆる困苦をもたらす根本的原因になるからです。この潜在意識下の恐怖感は、あなたの心と身体を、あなたの自覚無しに緊張させます。心が緊張すると、あなた自身の感覚や感情に柔軟性がなくなります。躁鬱の起伏が激しくなります。ちょっとしたことで怒ったり、泣いたりしてしまいます。その逆に、感覚が麻痺して、何があっても何も感じない、おかしくても笑えない、悲しくても泣けない、何に対しても感動できなくなったりもします。他の人に心が開けなくなり、人づきあいがおっくうにもなります。ありとあらゆる精神的障害・病気(躁鬱、分裂症、パニック障害等)の根本原因は、潜在的恐怖によってもたらされた緊張にあります。
肉体が緊張すると、身体中をめぐる結合組織が硬直します。結合組織3センチ平方あたり約1トンの重量を受けたに等しく、こわばってしまいます。この結合組織とは、頭蓋骨の中から、身体中のありとあらゆる血管、神経、臓器、筋肉、骨を包み込んでいます。身体の全ての臓器を包む組織が、それだけの荷重をうけて萎縮し硬く張り詰めてしまうと、肉体の健全な活動に必要な、体液、血液、老廃物、酸素、二酸化炭素、栄養分、神経を通過する電気的信号、の流通がさまたげられます。その部分から、病気が発生します。癌、糖尿病、高血圧、不妊症、白内障、ありとあらゆる病気の根本原因は、潜在的不安による緊張にあります。
あなたの辛苦の原因は、心身の緊張にあります。なぜ、緊張するのか?それは、潜在意識下で不安や恐怖をいだいているからです。では、なぜ、潜在意識で恐怖を抱くのか?それは、あなたがあなたの「精神性の基盤」から分離されてしまったからです。あなたは、本当の自分を見失ってしまったのです。あなたが、本当の自分を取り戻すことが本源的解決であり、それ以外は全て、付け焼刃的な対処療法になります。
しかしながら、あなたが本源的解決を目指すことはありません。上で述べた潜在的恐怖感を埋め合わせるために、あなたは、次の二つの内のいずれか、もしくは両方の対応をしているはずです。まず一つ目に、物理的、肉体的刺激を摂取し、快楽の中におぼれることで、恐怖を忘れ去ろうとする。酒、タバコ、Sex、ギャンブル、特定の食品(例:チョコやアイスクリーム)の極端な嗜好、TVゲーム、インターネット、映画の過度な視聴、ハードなエクササイズ、そういったものの刺激で自身を満たすことで、刺激以外のものを感じないようにします。ある意味、あなたは刺激により自身を麻痺させているのです。二つ目の対応として、あなたは、自分の外部環境にアイデンティティーを求めます。自分が外の世界の中で演じている役割の中に、自分の存在意義を求めるのです。私が上で述べた「仮面」の役割を全うして、他者から評価を受けることで、恐怖を埋め合わせようとします。あなたの中で、成功意欲が過度に強かったり、権威欲が強かったり、ヴォランティア精神が強かったり、母性本能が強かったり、親孝行の意識が強かったりするのであれば、あなたは人から褒められることで自分の心を安定させようとしています。
上でいう、一つ目の対応が何の解決ももたらさないのは言うまでもありません。二つ目のアプローチは、換言すれば、あなたが、他の人を幸せにしようと貢献することを目指しています。あなたの周りの人を気分良くすることで、あなた自身が気分がよくなろうとします。残念ながら、この二つ目のアプローチは、潜在的不安を解消して、あなたが深い幸せを得るのには、実は的外れであります。あなたが抱えている不安は、あなた自身が「精神性の基盤」から分離したことで発生したのです。あなた自身がつくりあげた心の穴を、他の人が埋めてくれることはありません。あなたは、その心の穴を、あなたの周りの人の笑顔を見ることで、埋め合わせようとしているのです。何がしかの「刺激」で心の穴を埋めようとしているという意味では、一つ目のアプローチも二つ目のアプローチも一緒です。ただ、言うまでもなく、酒で心の穴を埋めようとするのと、温かい人間関係で埋めようとするのとでは、精神衛生上、雲泥の差がありますが。その心の穴を埋めるのに、無効であるという点では、一つ目のアプローチも二つ目のアプローチも一緒です。
他の人の役にたつことで、あなたが幸せを感じることはできますが、それだけでは、あなたが深い充足感を得ることはありません。深い充足感とは、英語でいえばblissful(至極の喜び)な状態です。他の人の役にたとうとするだけでは、あなたが、深く幸せになることは無いということに、あなたは気付いていません。このアプローチの否定的側面をあなたが感じることはありません。なぜなら、まず、直感的にこのアプローチは正しいように、あなたは感じています。周りの人が幸せなら、例えば、家族の食卓であなたの子供達がニコニコしているのなら、自然とあなたの中で何かあたたかい感情が芽生えて、あなたの気持ちが良くなります。子供達の顔に笑顔をもたらしたいと感じるのは、親として自然な欲求です。だから、自然と、周りの人の気分を良くする事が、あなたの生きる上での使命になります。そして、更に、その使命感は、社会で共有されています。人の役に立つよう行動することが善であるという社会的規範が、広くできあがっています。ですから、あなたは、人の役に立つようにと、両親、学校、社会から指示をうけ、教育を受けて、その価値観が刷り込みされてきました。ですから、自身の中での漠然とした不安感を覆い隠すために、善なる行いをして、気持ちよくなり、そのいい気持ちで自分を浸そうとするのです。あなたは、そうすることに、何の疑問ももっていません。それが無効であるにも関わらず。
勘違いして欲しくないのですが、私は、「人の役にたとうとすることが、悪いことだから、しなくていい。」と申し上げているのはありません。「人の役にたつ」という行いそのものは、善なるものです。どしどしおやりください。私がここで強調しているのは、「人の役にたつことで得られる喜び」であなたの心の穴が埋まることが無いと申し上げているのです。埋まったように感じても、喜びという刺激があなたの空虚感を、一時満たしてくれるだけです。
他者に貢献することを手段として、あなた自身を幸せにしようとするのであれば、逆説的ですが、最終的にはあなたは不幸せになります。あなたの貢献度合いに関わらず、あなたの周りの人が完全に幸せになることはありえません。あなたが完全な妻、母親であったとしても、子供やあなたの夫は、各人、日々の問題(例:学校での友達との関係)を抱えていて苦しんでいます。あなたの努力のみで、それらの問題が解消されることはありえません。しかし、あなたの目には、あなたの周りの家族のストレスやフラストレーションが、あなたのせいのように映ります。あなたは自分の努力が足りないから、家族が不幸せであると思い込み、そして、これまで以上に家族に尽くそうとします。あなたの精魂尽き果てるまで。最終的に、あなたは何がしかの疾病を患うまでになります。
ここで、次のダライラマの言葉を咀嚼してください。「幸せとは、主観的状態であって、自己完結的である。幸せとは、あなたの内面の状態であって、あなたの幸せは、外部環境には全く依存していない。であるから、あなたの周囲がどんな状態であっても、あなたは幸せを感じることが出来る。」このダライラマが指摘することは、仏陀やジーザスといった、歴史上の偉人達が言ってきたことでもあります。また、今日の霊的指導者達、例えばディーパック・チョプラやウエイン・W・ダイアーも、全く同じことを強調しています。
あなたが目指している幸せの状態とは、客観的状態であって、他者依存的です。
「<家族が幸せなら>私は幸せになれる、」「<会社での評価があれば>私は幸せになれる。」「<両親が健康なら>私は幸せになれる。」あなたはあなたの幸せを、外部環境に依存しています。あなたの幸せを量る基準、物差し、座標軸は、あなたの内部にあるのではなく、あなたの外部にあります。その座標軸があなたの外にある限り、あなたは、あなた自身の人生を歩んではいないのです。
ここで、これまで述べてきたことを要約します。あなたは、自分が何者であるかを知りません。それは、「精神性の基盤」からあなた自身が分離された状態です。そのとき、あなたは潜在意識下で疎外感、孤独感、脆弱感が芽生え、漠然とした不安をいだきます。この漠然とした不安により、あなたの心身は、緊張をします。その結果、あなたは、具体的な精神的・肉体的問題を、実際に体験するに至ります。職場での人間関係の問題や夫婦関係の問題も例外ではありません。癌、肩こり、不妊、白内障、そういった肉体的問題まで含めて、あなたが体験している全ての問題に共通な根本原因は、あなたが本当の自分を見失ったことにあります。ところが、この状態を打開するために、あなたは答えを、あなたの外の環境に求めます。残念ながら、これは間違った対応です。あなたは人に役立つことに意義を見出します。「家族思いの母親でありたい」「会社の業績に貢献する社員でありたい」「親孝行をする自分でありたい」という理想像を自分に対して描きます。そして、その理想的自画像に近づくべく努力を重ねます。「私はいいことをしている」と自分を褒めることが出来る瞬間を、あなたは渇望します。しかし、それで、あなたが本当に深い満足を得ることはありません。なぜなら、あなたの心の穴は、あなたの自我が「精神性の基盤」から分離したために、あけられたものだからです。あなたの自我が「基盤」と統合されることのみによって、あなたの心の穴は完全に埋められます。あなたが深い幸せを得るための答えは、あなたの外には無いのです。あなたの内側の世界にあるのです。
ここで自問自答してみてください。「私とは何者なのか?」あなたは、名前をもっていますが、名前はあなたの「呼び方」であって、その「呼び方」があなた自身なのではありません。「名前」=「あなた」ではない。あなたは、性別をもっているが、性別とは生物学的な特徴でしかすぎず「女性」=「あなた」ではない。あなたは、人種としての特徴、国籍をもっているが、「日本人」=「あなた」ではない。あなたは職業をもっているが、それはお金を得る手段でしかすぎず、「仕事」=「あなた」ではない。あなたは、会社で立場をもっているが、「課長」=「あなた」なのではない。あなたは家庭内で役割をもっているが、「妻/母親」=「あなた」ではない。あなたは身体をもっているが、「身体」=「あなた」ではない。あなたは思考をもっているが、「思考」=「あなた」ではない。あなたは感情をもっているが、「感情」=「あなた」ではない。あなたは、記憶をもっているが、「記憶」=「あなた」ではない。それでは、一体、「あなた」とは一体何なのか?「あなた」という存在は、それら全てのものを超えて包んで所有する、何か雄大な存在なのです。
あなたが本当の自分を取り戻すとき、すなわち、あなたの自我が、「精神性の基盤」に統合されるとき、あなたは、雄大で広大で尊厳に満ちた感覚と感情を、あなた自身の中へと吸収していき、恐怖がなくなります。あなたは、何か目に見えない偉大な力が、あなたを常にサポートしていることを実感します。その大きな何かによって、常にケアされている、注目されている、理解されている、抱擁されているという感覚をもつようになります。さびしい、孤独だという感覚がなくなります。あなたの内側から自然に沸き起こる生気・活気を、物理的世界において具体化するのが、あなたの人生の使命であることが分かり、あなたはあなたの天命を知ります。あなたは、インスピレーションの形で、導きを受け続けます。あなたの人生に方向性がみえて、迷いがなくなります。日常生活においても、様々な変化を体験します。知らない人と会うことが億劫ではなくなります。新しいことにチャレンジするのに、しり込みしなくなります。人からの誹謗中傷が、あなたを傷つけることは、もうありません。何かに失敗することが怖くありません。特段なんの意識をすることなしに、あなたはいるべき場所にいて、会うべき人に会い、言うべきことを言い、やるべきことをやるようになります。あなたの行動が全て自然になります。あなたは日々喜びとバイタリティーにあふれ、あなたの笑顔みたさに、あなたの周囲に、人が自然と集まるようになります。
あなたは、私が上の段落で述べているような変化は、信じるには素晴らしすぎる、実際にありえるはずは無い、と私を批判するかもしれません。しかし、上であげた劇的変化は、私の実体験を語っているのであります。上記の全ては、私の中で実際におきた変化に裏付けされています。私は、本当の自分を取り戻す霊的研鑽をつんで、「精神性の基盤」と融合されるまでに至りました。その過程で実感した変化を上で挙げているのです。私自身の経験に依拠して、それを証明しようとしているのです。適切な訓練とヒーリングを継続的に受ければ、本当の自分を取り戻すことは、誰にでもできます。私が上で述べたような、大きく拡張された精神状態を、あなたが得ることは実際に可能です。「精神性の基盤」を、私は「魂」と呼びますが、「魂」とあなたの日常意識を統合して、悩みや不安の無い意識状態を得ることは可能なのです。
私は、幼少期に父親から虐待を受けた結果として、自分が小さな存在であるという脅迫観念に悩まされるようになりました。対人恐怖症となりました。8歳の頃には、神経が過敏であるがゆえに胆のう炎を患いました。潜在的恐怖から逃れるために、私がとってきた道は、学業をがんばって他人から評価を受けることです。周りの人に対して、ものすごく気配りをし、常にリーダーシップをとることをしました。私は小さい頃から、毎年、クラスで学級代表をやるような存在でした。その後、どんなに学業で成功しても、就職し、会社で成功しても、何事においても常にベストをつくすことをしてきても、私の心の傷はいえることがありませんでした。知らない人に会うのが怖い、知らない場所に行くのが怖い、とある場所に一人でいることができない、色々と成し遂げて、他人からどんなに褒められても、そんな恐怖が常に私につきまとっていました。
20代のころ、達成と評価を得ることで、私の心の穴を埋めようとしたことは、無意味でした。私が上で述べたように、私の外の世界には、私の幸せの答えが存在しないにも関わらず、私は外の世界ばかりを注目し、外の世界で多くを達成することのみに注力していたのです。私の人生を180度変えるような転機が2002年にやってきました。2002年、父親が癌で他界しました。彼を自分が殺したのだという罪の意識に悩まされるようになり、不眠症を患い、社会生活ができなくなりました。引きこもりの状態になり、家の外に出られなくなりました。そこから、私は完全に自分のあり方と人生の方向性を転換しました。私の霊的師匠達の助けを借りて、自分の内的世界の探求をしました。潜在意識の恐怖を解消するヒーリングを、今日までにのべで1000回以上受けて、毎日瞑想をしました。自分の意識、精神状態がどんどん変容していき、恐怖がどんどん希薄になっていくのを実感しました。その結果、3年ほど前から、自分の「魂」と融合できたのを実感しています。「魂」を感覚的に実体験するまでに至りました。日々の出来事において、少しでも自分がナーバスになったときは、自分の「魂」を呼び込み、その「魂」の力によって、その不安を瞬時に消し去ることが出来るようになるまでに至りました。今、私は「魂」と共にあり、不安に悩まされることの無い人生を楽しんでいます。知らない人に会うのも、知らない場所に行くのも、今は全く大丈夫です。一昨年、私はアイルランドとドイツで私のワークショップを行いました。家を出ることができなかった状態からそこまで変化したのです。
あなたが深い幸せを得ようとするときに、あなたに困苦を与えているように見える外部環境(例:理解の無い上司)をあげつらうのではなく、あなたはあなた自身をみつめる必要があります。外部環境を変化させようとするべきではありません。あなたは、あなたの潜在意識へと入っていって、精神状態の変化を促すべきなのです。「精神の基盤」と融合したとき、あなたは自身を大きな力強い存在に感じられるようになります。このとき、そういったあなた自身の変化に呼応する形で、周囲の人たちは、あなたに対して、より深い親愛の情と尊敬と理解をもってあなたに接するようになります。あなたへの態度が劇的に変わります。その結果、かつては冷酷ですさんでみえた「世界」が、優しさと温かさに満ちた「世界」に見えてきます。あなたの内的変化によって、あなたの周りの全てが変化する。この一連の変化の過程が霊的成長です。それがスピリティアルな生き方です。
霊的であるということは、サイキックであるということではありません。多くの人はスピリテュアルであることを誤解しています。多くの人は、死んだ人の霊を肉眼で見ることができるだとか、未来に起きることが予言できるという、そんな特別な知覚能力を有していることがスピリティアルだと考えていますが、それがスピリテュアルなのではありません。霊的であるということは、本当の自分を知るということです。今、「これが自分だと感じている何か」が実はフェイクであることに気付き、「精神性の基盤」を取り戻し、「精神性の基盤」が自分の存在そのものであることに気付くことが、「悟り」の状態です。その状態が、統一意識と呼ばれる精神の最高の状態です。自分という存在の奥深さ、神秘さ、広大さ、力強さ、ポテンシャルに気付いている状態がスピリテュアルなのです。
私は、禅、瞑想、エナジーヒーリングの訓練、トランスパーソナル心理学の研究を通じて、「統一意識」を実体験するに到りました。「統一意識」の中にある者として、あなたの霊的成長をお手伝いします。エナジーヒーラーとして、あなたがなぜ「精神性の基盤」から分離されてしまったのかが、私には霊視することができます。私との個人セッションやワークショップを通じて、あなたを「魂」から遮断している何かを解消していきます。時を経て、段階が進むと、私の「魂」の仲介を経て、あなたがあなたの「魂」の存在を実感するに至ります。あなたが、自分の内側を変えることで、深い幸せと平和に満ち、みずみずしさと歓喜と感動にあふれた人生を望むのであれば、私と過ごす時間は、あなたにとって意義深いものになるはずです。私は、あなたの霊的成長のために存在します。このメッセージがあなたに希望を与えるものになりますように。
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